悲しみの果てがヒットしてたJKの頃の記憶
私がリアルタイムで知っていたエレカシの忘備録。
私が初めてエレファントカシマシを知ったのはラジオで流れてきた『悲しみの果て』だった。
その当時、円都バンドやミッシェルガンエレファント、THE YELLOW MONKEYが頭角を現しはじめた時期と記憶してる。
ヒットを飛ばしていた小室ファミリーはよく分からないので言及できないけど、
ブルーハーツは過去のものとなり、
暴れ散らかした音楽からお行儀のいい主題歌向きの新しいバンドブームが市民権を得ていた。
小沢健二サブカル一派も強く、私の周りはなんとなくオシャレでかっこいい音楽が好まれていたように思う。ウォークマンだかMDだかも必需品だったから、そのかっこいい音楽を携帯しているかっこよさもあったかもしれない。
隣の男子の机にはタワレコの袋に入ったミッシェルガンエレファントのアルバムがあった。
そんな中、むき出しのエレファントカシマシは幾分か分が悪かったように思う。
『悲しみの果て』に惚れ込んだ私はアルバム『ココロに花を』を買った。B’zくらいしか聴いたことのない高校1年生の私にも分かりやすく耳触りの良い良曲、ただ曲名が、
『ドビッシャー男』
『おまえと突っ走る』
『うれしけりゃとんでゆけよ』
と、ちょっと訳わかんないな…と思った。
どう考えても今のこの時代に友達の間で共通認識とされるかっこよさとはかけ離れていた。
でも優しくて少しくもった声で、『四月の風』や『孤独な旅人』というグーの音も出ない名曲を挟んできたし、『OH!YEAH』の変調にもたまげた。
初めての変調を体験
ここで興味を持った私は過去アルバムをレンタルした。
『東京の空』
多分みなまで言うな、とファンの方は言うと思う。
分からない。
東京の空、
めちゃくちゃ長いイントロ、
女子高生には荷が重い。
難解すぎる。
「かっこいい」「良い曲」という評価軸しか持ってなかった私に東京の空は難しすぎた。
その頃ビジュアル系が流行り始めて私は軽率にそっちに流れ、その後もライブハウスに通ったりしてエレファントカシマシとは通信が一旦途絶えた。
少しして1997年『今宵の月のように』が主題歌ヒットして宮本はお茶の間の宮本になった。
頭クシャクシャにして何言ってるか分からない面白い人とアイコン化され、そのキャラクターが消費されるのを見て、ふぅん…と釈然としない思いを抱いた記憶がある。
あああの頃の何気なく観ていた記憶、いま全部アーカイブに入れて再生したいよ!!!!!
あの頃オッサンと思っていた宮本は実は当時30歳そこそこで、
いま自分がその時の宮本よりも歳上になって見返すと、傷つきやすそうで繊細で神経質な青年に見える。不思議。これはほんとに七不思議。
宮本浩次、上から見るか下から見るか。
そうして時を経て再び私がエレファントカシマシとエンカウントするのはソロ宮本浩次、
『昇る太陽』
その時のことはまた別記。