生きてることが好きという全てを内包する自己肯定感の高さ
一貫して、
「生きてることが好き」
という哲学が私はどうしようもなく好き。
なんなのあの自己肯定力の高さ。金がなくても売れなくても裏切られても財産持ち逃げされても、
「世の中変わるんだ 昼から夜
でも好きなんだろう? 生きてることがよ」
「生きてて楽しい」とも、「世の中素晴らしい」とも異なる、
『生きてることが好き』
こんな最上級の肯定ある…?びっくりした私は。ほんと怪物的表現だなと思う。
「俺たちの明日」の頑張ろうぜ!というワードでポジティブ応援歌のイメージが多いと思うけど、そのパッケージされた応援歌の中にすらある、
「頑張れなくてもいい感」「ありのままの肯定」
がどうしようもなく好きでたまらない。
『友達がいるのさ』では、
〜歩くのはいいぜ、立ち止まったっていいぜ、何だっていいぜ〜
ってメッセージをぶっ刺してくる。
『easy go』では、
〜疲れたらそのまま寝ちまえばいい〜
まるっと大きな肯定。
私は文学好きで叙情的な表現が好きで、エレカシって直情的でシンプルでしょって思ってたから、ほんと自分をシバきたい。
なんだろうこの、暗喩も何もない、
純粋な言葉の力。
メタファーなんてほとんどなくて、挙げてみても、「人生→旅」「新しい明日へ連れて行ってくれる→風」「昇る→太陽」
と、とてもシンプル。
だからこその言葉の力と言える。伝える、ということを大切にされているスタンスからしても食い違いはない。
『宮本、独歩』では人生の旅を肯定する、というワードがあった。
悩み葛藤し敗北し挫折し、その先に来たいま人生の旅を肯定し祝福のフェーズなのかなと思う。
ドキュメント、もっと見続けたい。
なんなら、没後に評価され解読本が出ないと常人には理解し切れないと思ってるから、
もっと。
もっと。