この世を統べているのは心

まるで自然の摂理のごとくエレファントカシマシを好きになり生命活動の一環として解釈し続ける日々

エレファントカシマシ35周年「yes.I.do」何も変わらない

ファンになってから過去を遡って文豪や紐解くように、年齢と年譜をにらめっこしながら辿ってきた。

『ココロに花を』ではじめて聴いて、『昇る太陽』で再会して、そこに変わらず勝負し続けるヒーローがいて。

 

何も変わらない。

yes.I.do「流れる時にあらがう訳じゃない」

今までどれだけ俺には時間がない、どれだけの事を成し遂げられるか、勝負の法則なら見えてると言いながら苦悩して、

 

「神様俺はいま人生のどのあたり」

 

時計の針(チクタク)とヒリつき息詰まるような焦燥を昇華させたと思った。

 

「振り返りゃあどうだ?」
俺は心に聞いた道端で。

 

yes.I.doは自問自答のひとつのアンサーだと思った。しかしそれもまた日々の生命活動で。

 

流れる時にあらがう訳じゃない

 

ここに辿り着いたんだろうか。

 

 

 

 

勝つ、勝負し続ける限り負けないという禅問答

そうさ俺は必ず勝つ(easy go)

俺は勝つ 真面目な顔で俺は言う(季節外れの男)

勝利の法則なら 見えてる生涯
本当はそんなに むつかしかないだろう?(真夏の革命)

 

エレファントカシマシにおいて宮本は勝ちにこだわる。「俺は勝つ」ってずっと言ってる。

それはソロ宮本浩次でも同じで彼の本流であることは疑いようがなかった。

 

俺は絶対勝つってよ(sha・la ・la ・la)

 

特に、

エレファントカシマシ(easy go)

神様俺はいま人生のどのあたり

と、

宮本浩次の(sha・la・la・la)

お前は今どのあたりを歩いているんだい?

 

は呼応してる。人生を俯瞰しあとどれだけ使い果たせるのか?同じ人生の命題に思える。

 

体の全て使い尽くして死にたい 俺は死にたい 

(地元の朝)

 

時間が足りない、才能を使い果たして死にたいという天才の叫び。

 

昇る太陽で再会して、変わらない男の負けの美学を感じたけど、『負け』と言葉に置いてみるとと少し齟齬があるかもしれない。

「人生はいつでも敗れし 男たちのバラッド」

 

この敗れし男は「負け」ない。負けるんだけど負けない。それは勝負し続ける限り。一度敗れても何度敗れても、勝負し続ける限り負けない。

禅問答だ。

 

俺は勝つリスト

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宮本の俯瞰とメタ認知

夕暮れってヤツは美しい 何とか歌にしたいもんだな

(歩く男)

 

歌にしたいと思った気持ちを歌ってるのってすごくないですか……

 

メタ認知の定義は、

「認知していることを認知すること」


宮本は常々から俯瞰がすごいと思ってるけど、これはそれを1歩超えてるメタ認知だなと思った。 
物語は俺なのに、それをストーリーの外から俯瞰してる認知が常にある。

 

神様俺はいま人生のどのあたり(easy go)

お前は今どのあたりを歩いているんだい?(sha・la・la・la)

 

この俯瞰、天性のものだと思うんだけど天才では。

こんなにも俺が俺がのドキュメントで熱い想いをぶつけて来る癖に、ふとした時のこの俯瞰、客観視、

もはや怖いまである。

 

「いい顔してるぜ!よく見えないけど」も、

「会いに来ました!仕事だけど」も、

同じで

スっと一歩引いた感じ。

とても気になる。

『RAINBOW』に見たヒーローと『昇る太陽』で再会した

RAINBOWの歌詞はほんと、達筆にしたためて国立美術館に飾ってもらいたい。もはや文化財の可能性まである。

 

「暮れゆく秋の空 少年老い易く

太陽目指して駆け抜けたヒーロー

この世を統べているのは心」

 

分かりやすい言葉を並べてるのに異質すぎる。頭ん中覗いてみたい。

 

「この世を統べているのは心」で私は

太陽と月に背いて」のアルチュール・ランボーを連想する。

 

見つけたぞ!何がだ、ー永遠。太陽と手を取りあって、行った海 (訳:粟津則雄)

Elle est retrouvée !

Quoi ?  l’éternité.

C’est la mer mêlée

   Au soleil.

(私はこの粟津則雄訳が一番好きで、直訳→「永遠、それは一緒になった海、太陽と」のmixedを「手を取り合って行った」とgoneの意味合いを含むのが好ましい)

 

この詩に傾倒してる私からすると太陽を永遠の象徴とすることは容易く、同時に『永遠≠変わらない』が成立する。

 

太陽は昇り、沈みゆく。

 

「暮れゆく秋の空 少年老い易く

太陽目指して駆け抜けたヒーロー

この世を統べているのは心」

 

「暮れゆく秋の空」「少年老い易く」の揺らぎの直後に永遠の象徴的な「太陽」

 

対してCメロの

ふと見上げれば変わらぬ輝き

月の光俺を照らしている」

の月は不変。

 
 
この3分58秒は壮大な戯曲だったかとさえ思う。
 
「ベイビー くずおれそうさ 面目ないね
陽だまりも宇宙も 悲しみも喜びも
全部この胸に抱きしめて 駆け抜けたヒーロー」
 
これこそが永遠だ。
ここがめちゃくちゃ好きだ。
 
崩れ落ちそうさ、じゃない。くずおれそうさ。
天才なの????
 

そして私はこの『RAINBOW』に見たヒーローと四年後『昇る太陽』で邂逅した。

 

遠い記憶の中じゃ そうさ俺は super hero

いつか浮世の風に吹きさらされちまって 立ちつくしてた」 
 

「昇る太陽 俺を照らせ 輝く明日へ 俺を導いてくれ
ああ 浮世の風に吹きさらされ 佇む 俺の咆哮(ほうこう)」

 

あれは再会だった。

 

偶成に見られる『ちょうどよくない』魅力

偶成って、語弊があるかもだけど色々何もかもが《ちょうどよく》ない。

 

それこそマサムネさんみたく正座して聞くというか。
聞く側に素地を求められるし、偶成ってなに?ってなる、まず。

 

偶成<朱熹>
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず

 

エレファントカシマシの魅力はそこにあって。

(と、ソロからファンになった私が言ってます)

ソロ活動でエンタテインメントで完成されていたから逆に引き立つというか。今だからこそ野音であの『偶成』が聴けたのだと思う。

 

珍奇男のズレてるような合ってるような感じ、癒される曲でもない、いい曲とも一言で言えない、無難じゃない、

とにかく、

なんだかとっても、

『ちょうどよくない』

 

人間で言うといい人に魅力を感じないとか、

美で言うと整った造形よりどこか崩れた違和感に惹かれる。

 

ーーー

ああうち仰ぐ空のかなたに
きらりと光る夕陽あり
流るるドブの表を
きらりとさせたる夕陽あり(偶成)

ーーー

現象に「きらりとさせたる」ってあてるの天才すぎる。
ドブ、受動態。

 

そうして、私達は芸術だ哲学だと思うのに、本人は『労働』と言う。

分かる人にだけ分かればいいんじゃなくて、届けたい!って気持ちだとか、売れる事への拘り。妙にアンバランス。

 

そこも御しがたく好ましい。

悲しみの果てがヒットしてたJKの頃の記憶

私がリアルタイムで知っていたエレカシの忘備録。

 

私が初めてエレファントカシマシを知ったのはラジオで流れてきた『悲しみの果て』だった。

その当時、円都バンドやミッシェルガンエレファント、THE YELLOW MONKEYが頭角を現しはじめた時期と記憶してる。

ヒットを飛ばしていた小室ファミリーはよく分からないので言及できないけど、

ブルーハーツは過去のものとなり、

暴れ散らかした音楽からお行儀のいい主題歌向きの新しいバンドブームが市民権を得ていた。

小沢健二サブカル一派も強く、私の周りはなんとなくオシャレでかっこいい音楽が好まれていたように思う。ウォークマンだかMDだかも必需品だったから、そのかっこいい音楽を携帯しているかっこよさもあったかもしれない。

隣の男子の机にはタワレコの袋に入ったミッシェルガンエレファントのアルバムがあった。

 

そんな中、むき出しのエレファントカシマシは幾分か分が悪かったように思う。

 

『悲しみの果て』に惚れ込んだ私はアルバム『ココロに花を』を買った。B’zくらいしか聴いたことのない高校1年生の私にも分かりやすく耳触りの良い良曲、ただ曲名が、

『ドビッシャー男』

『おまえと突っ走る』

『うれしけりゃとんでゆけよ』

と、ちょっと訳わかんないな…と思った。

どう考えても今のこの時代に友達の間で共通認識とされるかっこよさとはかけ離れていた。

でも優しくて少しくもった声で、『四月の風』や『孤独な旅人』というグーの音も出ない名曲を挟んできたし、『OH!YEAH』の変調にもたまげた。

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初めての変調を体験

 

ここで興味を持った私は過去アルバムをレンタルした。

『東京の空』

多分みなまで言うな、とファンの方は言うと思う。

 

分からない。

 

東京の空、

めちゃくちゃ長いイントロ、

女子高生には荷が重い。

難解すぎる。

 

「かっこいい」「良い曲」という評価軸しか持ってなかった私に東京の空は難しすぎた。

その頃ビジュアル系が流行り始めて私は軽率にそっちに流れ、その後もライブハウスに通ったりしてエレファントカシマシとは通信が一旦途絶えた。

 

少しして1997年『今宵の月のように』が主題歌ヒットして宮本はお茶の間の宮本になった。

頭クシャクシャにして何言ってるか分からない面白い人とアイコン化され、そのキャラクターが消費されるのを見て、ふぅん…と釈然としない思いを抱いた記憶がある。

あああの頃の何気なく観ていた記憶、いま全部アーカイブに入れて再生したいよ!!!!!

 

あの頃オッサンと思っていた宮本は実は当時30歳そこそこで、

いま自分がその時の宮本よりも歳上になって見返すと、傷つきやすそうで繊細で神経質な青年に見える。不思議。これはほんとに七不思議。

宮本浩次、上から見るか下から見るか。

 

そうして時を経て再び私がエレファントカシマシとエンカウントするのはソロ宮本浩次

『昇る太陽』

その時のことはまた別記。

アルバム未収録曲だけでベストアルバムできそうな件

だいたいアルバム買い揃え終わったって思っていた私、『sweet memory』と『DEAD or ALIVE』を聞いてぶっ飛ぶ。

おそらくこれはエレカシファンになった者が辿る様式美だろう。孤独な太陽、やばいやばいやばい、クレッシェンド・デミネンド、…は……?(語彙しんだ)

この2枚を堪能しまくって本気でアルバム買い終わった事を悟り、虚無る。もう…ない…だと…

アルバム未収録曲探しの旅に出る。これもおそらく様式美。ここにメモる。

※バージョン違いは含まず

 

東京ジェラシィ(孤独な太陽)

soul rescue(ガストロンジャー)

ポリスター(エレファントカシマシベスト)

BABYBABY(ココロに花をdemo)

夢を見ようぜ(ココロに花をdemo)

さよならばかり(ココロに花をdemo)

涙の数だけ(はじまりは今)

明日を行け(Destiny)

めんどくせい(愛すべき今日)

きみの面影だけ(ポニキャベスト)

涙を流す男(ズレてる方がいい)

ハロー!New York(エピックベスト)

さらば青春(sweetmemory)

sweetmemory(sweetmemory)

ふわふわ(Singles)

孤独な太陽(Singles)

はてさてこの俺は(あなたへ)

この円環の中を(あなたへ)

それを愛と呼ぶとしよう(桜の花舞い上がる)

ベイベー明日は俺の夢(風と共に)

真夜中のヒーロー(真夜中のヒーロー)

旅の途中(真夜中のヒーロー)

 

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これ。見たら分かる。珠玉。玉石混交って言葉はエレファントカシマシにはないのか?玉しかない。

 

「勝利は俺は全然恐くない」の怪物的表現(東京ジェラシィ)とか、

ニューヨークでルームサービスがこない曲(ハロー!New York)とか、

ジャズもいけるんですか(この円環の中を)とか、

珍しくイチャってるラブソング(それを愛と呼ぶとしよう)とか、

もうただの名曲(さらば青春)(sweetmemory)とか、挙げると両手両足の指を使っても足りない。

 

ファンしか知らないよねって特別感、最高のボーナスステージ。

 

次はバージョン違いのフェーズか…

(『真夏の星空は少しブルー』のライブ音源1オクターブ行き来するの、良すぎて気が狂う)